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Essays on Britain written by L'ete
〜イギリスに寄せるレテのショート・エッセイ〜

Chapter 1 イギリス・クレイジー
Chapter 2 ケンブリッジ、三たび
Chapter 3 フィッツウィリアム・ふたりの東洋人
Chapter 4 イギリスは変わったか?

■□■ 1. イギリス・クレイジー ■□■

 1992年1月8日、クリスマスイルミネーションが残るロンドンに、私はランカスター大学留学中の友人とふたりで泊まっていた。安ホテルのベッドにもぐりこみ、強い洗剤の匂いのするシーツに包まれた重い毛布を目の下まで引っ張り上げ、洗濯のりでザラついた繊維を頬に感じながら、3度目のイギリスで最後の眠りにつこうとしていた。
「この次いつまたイギリスに戻って来れるだろう?いつまたこんな気ままで楽しい長期旅行ができるだろう?春からは私も社会人だし、当分無理だろうな」
 そんなことを考えていた。それから実に8年以上イギリスに戻ることはなかったのである。 (「プロフィール&渡英歴」参照。)
渡英のチャンスは何度かあった。復学目的で最初の会社を辞めたとき、イギリスへ留学するという選択肢もあった。大学院在学中だってフランスへ行かずにイギリスへ行くこともできた。大学院修了後は貯金がすっからかんになっていたのでさすがに無理だったが、新婚旅行にはイギリスを選ぶことも出来た。行こうと思えばいくらでも行けたのに、なぜ行かなかったのか。それは、
「私は将来絶対にイギリスに住むんだ!」
 と思っていたからだ。どうせ将来住むんだから今ちょこちょこ行くことはない。憧れのスコットランドもアイルランドもコッツウォルズも、住んでから旅行すればいい・・・そう思っていたのに、運命は残酷だった。大学院では担当教授とウマが合わず、進学を断念。当然学問を理由にした渡英の道も絶たれる。ふたたび新人OLとなって2年目、何を間違えたのか生粋の日本人と結婚。恋するイギリスはどんどんと私から遠のいていった。新婚旅行にイギリスを選ばなかったのはもちろん、夫よりもイギリスに恋していたからだ。夫とイギリスへ行ってそれを思い知るのが怖かった。9時5時の平凡なOLでいい、イギリスの一市民としてイギリスでごく普通の暮らしをしたい。このクレイジーなしかし切なる願いから、8年8ヶ月後、4度目の渡英で、私はようやく開放されることとなるのである。

■□■ 2. ケンブリッジ、三たび ■□■

 ケンブリッジ、ペンブローク・チャーチの小さなチャペルで、私は座ってうつむき、お祈りしているふりをしながら、止めどなく流れる涙をどうしようもできずにできずにいた。
 4度目の渡英で私は、心ならずも初めての短期旅行でツーリストとしてイギリスへ戻ることとなった。西コーンウォールの3都市に4泊づつ計12泊する予定で、最初の8泊分の宿のみ日本から予約して行った。大好きなケンブリッジを旅程から外したのは、長い長い間会ってない理想の恋人に会う勇気がなかったから、とでも言おうか。しかし滞在3日目頃、やはりどうしてもケンブリッジに行きたくなって、最後の4泊は、ロンドンで買い物をしたいと言い出だした友達と分れてひとりでケンブリッジにステイすることにした。イギリスへ来てすぐに、9年の空白などなかったかのような、ずっとイギリスにいたかのような気分になっていたけれど、勝手知ったる(はずの)ケンブリッジで、逆に9年という年月の重さを思い知らされることになった。
 まず駅から乗ったタクシーで「セント・メアリーズ・チャーチの隣の観光案内所にお願いします」というと、観光案内所はそんな所にはないとの答えだった。数年前にもっと大きな建物に引っ越していたのだ。5日間懐かしいケンブリッジを満喫する予定が、あちこち変わったケンブリッジに戸惑うことの方が多かった。昔ながらのお店がチェーン店に変わっていたり、昔通った本屋さんやカフェテリアが別のお店になっていたり、路地裏に小さな入り口があったスーパーが巨大になって目立つ場所に引っ越していたり、といった具合。カム川のシンボル的存在だったカラフルなナローボートを川底に固定した画廊「ギャラリー・オン・ザ・カム」はなくなっていた。また最後に来た8年前には大学の見学はほとんどが無料だったのが、キャンパスの入り口はどこも料金が書かれた黒いボードが置かれていた。老朽化のため一般公開をやめてしまった建物や、入り口の部分しか入れなくなっているところもあった。
 帰国する前日、学生時代行きつけていたペンブローク・ストリートのティー・ショップ、ヘンリーズへ行った。ティーポットをかたどった懐かしい看板がまだ出ていてほっとしたのも束の間、残念なことにお店は閉まっていた。クラスメイトのマリアやロザーナやクリスティーヌと、ここでよくクリームティーをしたのだ。オフホワイトのレースをかけたオークのテーブルは当時のままの姿で暗い店内にひっそりと並んでいる。無念に思ってガラスごしにしばらく中を覗き込んでいた。すると、中にいた中年女性が私に気付いて戸を開けてくれた。
「明日はお店やってます?」
 さっそくきいてみると彼女は言った。
「いいえ。実はね、ヘンリーが3月に亡くなって、今奥さんがここを売りに出しているの」
 語学留学生が多いこの街では、頼みもしないのにわざとゆっくり英語を話されることが多いが、ヘンリーさんは決してそんなことはしなかった。いつもやかましい私たち外国人女学生を常にきちんとレディとして扱ってくれた。きびきびとした態度ながら親しみやすい清潔感溢れる長身の英国紳士、それがヘンリーさんである。まさか亡くなるなんて!たったひとときでいい、懐かしい、変わらない場所で、楽しかった当時を再現したいという私の願いは打ち砕かれた。お店を出た私は、あふれてくる涙を止めることが出来なかった。独りになってとにかく思い切り泣きたかった。それで、近くのペンブローク・チャーチのチェペルに駆け込んだのだった。9年間私の中で変わらずにあったケンブリッジも、実際には9年かけて徐々に変化していたのだ。街を行き交う語学学校の生徒たち、彼らを見ていると、私がどの学校にも属さない一ツーリストであることが、なんとも言い様がないほど寂しく感じられた。私は永遠に、9年前の陽光ふりそそぐ美しい夏のケンブリッジを恋しつづけるだろうが、もうここに住みたいという狂しく切ない願望に縛られて生きるのはやめよう。過ぎた時を思って悲しむのはやめ、自転車で走った通学路の並木道や、友達と過ごした楽しい時間、夜のパーティで飲んだサングリアの味、先生やクラスメイトやホストファミリー、懐かしいヘンリーさんのことをいつまでも覚えていよう。その夜、B&Bの殺風景なシングルルームで、私は日記にそんな決心を記した。

■□■ 3. フィッツウィリアム・ふたりの東洋人 ■□■

 『2年の留学中只一度倫敦塔を見物した事がある。その後再び行こうと思った日もあるが止めにした。人から誘われたこともあるが断った。一度で得た記憶を二返目に打壊すのは惜しい、三たび目に拭い去るのは尤も残念だ。』

 漱石は「倫敦塔」の冒頭でこうかいている。
 ずっと離れて暮らしていた理想の恋人「ケンブリッジの街」に、一大決心をして会いにやって来た私だったが、思いもよらず寂しい思いをすることになってしまった。5日間が長く感じられたほどだった。以前にステイしていた家の家族に会いたかったが迷った末やめた。ここへ来ることは急に決めたのだし、思い出は思い出のままとっておくことにしようと思ったのだ。
 当然ながら、ほとんど全く変わっていない場所もあった。自然と私の足はそこへ向い、4泊5日の滞在中3度も訪れた。それはフィッツウィリアム博物館だった。ロンドンの大英博物館のミイラの部屋はいつも人でいっぱいだが、たくさんのミイラがいるこの博物館は、いつ来てもそれほど混んでいない。
 あるとき、何の予定も立てていなかった私は、ギリシャ神殿風の博物館の正面玄関の階段を上りきったあたりで、しばしぼうっと通りを見下ろしていた。すると年配の東洋人女性が話し掛けてきた。
「学生さん?ツーリスト?」
 顔に刻まれたいく筋もの深い皺、短く切ったしかし太くていかにもしっかりした白髪、70歳は越えていただろう。
「ツーリストです。学生のときもここへ来たんですが、それはもうずうっと前で・・・。あなたは?」
 東洋人独特の笑顔を浮かべる目の前のこの女性に、私はなぜか興味がわいてきて訪ねてみた。
「私は1947年に中国からスコットランドの大学に留学してきたんです。卒業後ずっとスコットランドで教えていたけれど、3年前からケンブリッジで教えているんですよ。」
「へーえ、そうなんですか。1947年とはずい分昔ですね。一度も中国に帰ってないんですか?」
「ええ一度も帰ってないの。」
 私は感心するのに忙しくて「そうなんですか」と応えるのが精一杯だった。すると彼女は、
「それじゃ、残りのステイを楽しんでね。」
 と笑顔で去って行った。
 1947年!第2次大戦後まもない頃にはるばる中国からスコットランドへ留学してきた女性だなんて、きっと選ばれた特別の人だったのだろう。故郷を離れてずっとイギリスに?家族は?寂しくはないの?こんな歳になっても大学で教えているなんて、きっととても偉い先生に違いない。彼女に比べると、9年前のケンブリッジを思い出して感傷に浸っている私なんてまだまだ子供だな。そうだ。彼女をお茶に誘えばよかった。コーンウォールで友達と別れたのはつい1・2日前なのに、もう何日も2フレーズ以上しゃべっていない気がする。まるで口の周りの筋肉が固まって化石になってしまったかのようだ。
「あのう、よければいっしょにお茶でもどうですか?ひとりでここへ来たものの、話し相手がいないとなんだか寂しくって・・・」
 通りへと消えてゆく彼女の後姿を見送りながら、私の呼びかけは声にならなかった。

■□■ 4. イギリスは変わったか? ■□■

 最近久しぶりに大学時代の友人と会った。彼女は現在育児休暇中のベテランスチュワーデスである。そこで今回、イギリスは変わったという話で大いに盛り上がった。
 まずびっくりしたのは街中にたくさんできた外資系カフェの存在。これらがカプチーノやカフェラテというおいしい飲み物をイギリス庶民に普及するのに一役買ったとみえ、外資系カフェでなくてもカプチーノなど様々な種類のコーヒーが飲食店のメニューに加わった。いろいろなフレーバー付きカプチーノを売るスタンドなんかもあって、最新のコーヒーマシーンでガーッと豆を挽くところからしてくれることもある。一昔前なら、飲食店はもちろん、街のスタンドや駅でさえも紅茶は大変おいしい代わりに、コーヒーはあったとしても1種類だけで不味いものと決まっていた。万一「カプチーノ」なんて言おうものなら首をすくめて「なんだそれは?」と言われるのがおちだった。
 次にびっくりしたのはテレビに占める米国産ドラマの多さである。以前は米国産ドラマといえば今は亡きマイケル・ランドン主演の「大草原の家」くらいだったが、今は・・・、いやここで番組名をたらたらとならべるのはやめよう。他にも、ブリットレイルの列車がちゃんと時刻どおりに来る(!)とか、チューブ(ロンドンの地下鉄)の持ち手がボール型じゃなくなったとか、地下鉄に木のエスカレーカーがなくなったとか、ダブルデッカーに電気開閉式扉がついたとか、いろんな変化に驚かされた。
 さて、友達とこんな話で盛り上がった、と実家に帰ったときに母と話していると、それをきいていた父は言った。
「しかし長いスタンスで見てみれば、イギリスはそんなに変わらないだろう。」
 と。確かに、バッキンガム宮殿の衛兵交代みたいな、日本で言えば京都の時代祭りの大名行列みたいなことを、毎日毎日いまだにやっているのだから、変わらないと言えば変わらないのだろう。変わった変わったなんて言って昔を懐かしがっているなんて、まるでおばあさんみたいだ。こんなふうにして、私の感覚は若い世代と一線もニ線も画してゆくのだろうか。
 ああそれにしても、永遠にイギリスに恋焦がれる私としては、なるべく変わらないでいてほしい。だいいち、列車が時刻どおり来るなんて、こっちの調子が狂うじゃないか!